Engineering Managementな人たちについて疑問に思ったところ
この記事は mohikanz Advent Calender 2018 #1 の19日目の記事です。
Engineering Management (以下EM) 周りのことについて書いてみます。ポエム。
緒言
この記事は書籍や勉強会で得た知見の中で疑問に思ったことを吐き出した記事です。
自分の中で答えが出ていないものだということだけ書き留めておきます。
だれおま
某広告代理店系の会社で3年目になりました。
1年目は実装担当、2年目はオフショア拠点向き合いのブリッジ、3年目の今年は品質改善の勉強のためにグループ会社で修行しています。
毎年やること変わるのにどういう方向性進みたいとか聞かれても困る。
mohikanz では飲み会の賑やかし担当です。
きっかけ的な
自分は管理職ってわけではないですが、オフショア向き合いのブリッジや現在の品質改善活動の業務をこなしていくうちに、自分のいたチームについて外から見る機会が増えました。
不思議なことに、外から見ると「なんでこんなやり方でやっていたのか」と感じることは多々あります。
さらに出向前まで良くしてくれていたSESの方が契約満了で、その方が (表面には出していないけど) チームに不満を持っていたのを解消できなかったことが考え直すきっかけになりました。
改善したい点
チームを外から見たときに感じた改善点は以下の通りです。
- 障害発生時、発見した人の負担が大きくなる
- 仕様やノウハウの共有ができていない
- トラブったときの振り返りがなおざりにされる
- 指揮権が迷子
- MTGで話したいことが迷子
EMの勉強
とりあえず、目についた上記の問題についてでも解決するにはどうしたもんかと考えていたところ、 mohikanzに颯爽と #engineer-manage というチャンネルが登場してくれました。
まーなかなか組織を上手く動かすということに苦労している人が多いようで、そこでの意見や知識は参考になります。
参考として挙げられた書籍や勉強会などを活用して目下のところ勉強中です。
先駆者たちの知見
多くのEMの先駆者たちはどうもGoogleのre:Work をベースとして話をしているようです。
re:Workにも記載されている 心理的安全性 がどうもこの界隈のバズワード的扱いのようで、これを如何に向上させるかに心血を注いでる方がよく見られる印象を受けます。
心理的安全性について少し抜粋をすると以下のように記述されています。
「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。心理的安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていません。自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があります。
これに対するEMのアクションとして紹介された事例としては
- 積極的なコミュニケーションをEMから心がける
- 知識の限界を認める
- 自分も間違うことを積極的に示す
- 失敗を個人の責任にせず、チーム全体の問題であると認識させる
などが挙げられていました。
疑問に思ったこと
上記を書いていて、サーバントリーダーシップをどう形成していくかのような話だと思いました。
そのさなか、勉強会である発表者が
「文化的差異を埋めるために、マネージャーが緩衝地帯となる」
のようなことを言っていました。
ここでふとなんかEMの人たちの行動って自己犠牲的な部分が多くね?
という疑問が湧きます。
先の発言だけでなく、他の発表者ですが、積極的なコミュニケーションなどの例としてメンバーとの1 on 1を頻繁に実施しているなどの事例もありました。
これにしても、チームがスケールしていったときにEM一人でその手段を維持し続けられるのかというところに疑問で出てきます。
まとまらないまとめ
チームを良くする手段については、まぁ、そういう手段が実績もあるしそうなんだろうなと。
ただし、チームのためにEMの負担が増え続けないものか、またそれに対しての解決策がすでにあるのかということまでを、今後に考えていきたい所存。
この記事を見て、ふとこのpodcastを思いました。
http://rebuild.fm/123/
参考に、とかそういうのではなく、本当に連想しただけという感じで。